👷 四苦八苦


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 四苦八苦とは

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 コピペ




まず、前述のとおり仏教の出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まります。なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。仏教ではこの原因を、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」で、「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」という真理にあると考えます。これらを正しく理解したうえで、世の中を捉えることができれば、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる――。つまり、苦しみから解放される、とお釈迦さまは説かれています。これが、目指すべき「涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり")」です。
少し難しく感じられるかもしれませんが、それぞれをご自身に当てはめて考えていくと、とても納得しやすいお話になるはずです。それでは、これらの4つの言葉についてご説明していきましょう。

一切皆苦―人生は思い通りにならない

まず、お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、という真理を説いています。仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。この「苦」には、「四苦八苦」と呼ばれる八つの苦しみが挙げられます。
四苦八苦【しくはっく】
いかがでしょう。誰もが実感することばかりではありませんか? これらの苦しみを理解するためには、お釈迦さまが掲げた3つの真理を知る必要があります。

諸行無常―すべてはうつり変わるもの

世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。
世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。それが、「執着」へとつながるのです。このような苦しみにとらわれないためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを理解することが大切です。

諸法無我―すべては繋がりの中で変化している

全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"存在であると気がつきます。

涅槃寂静―仏になるために仏教が目指す"さとり"

これは、仏教の目指す苦のない"さとり"の境地を示しています。
仏教に限らず、あらゆる宗教は「どうしたらみんなが幸せになれるのか」を追求します。しかし、世の中は自分の思い通りにならないことばかり。そんなとき、人は自分以外のものに原因を求め、不満になり、怒りを抱くものです。仏教では、こうした怒りは全て、自分の心が生み出していると考えます。その原因となっているのが、疑い、誤ったものの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」。こうした煩悩を消し去り、安らかな心をもって生きることこそ「涅槃寂静」、つまり"さとり"の境地なのです。そこに到達するためには、先に挙げた"諸行無常""諸法無我"をきちんと理解することが大切です。あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になれば、結果として幸せに生きることができるのです。
では、思い通りにならない人生をイキイキと生きるためには、どうすればいいのでしょうか? その答えが、後述する「四諦八正道」という教えに示されています。これは、お釈迦さまが苦しみのメカニズムを説き明かし、煩悩をコントロールして生きる方法を具体的に示してくださったものです。

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病気や死への恐れ、人間関係から起こる悩みなど、人の一生にはさまざまな苦しみがつきまとうものです。ときには、自分の思い通りにならないことに対して憤り、その苦しみに振り回されてしまうこともあるでしょう。でも、できることなら苦しみに振り回されず、安らかに生きたいものです。
お釈迦さまの教えには、「人々を苦しめている根本的な原因は何か」、「苦しみから解放されるにはどうすればよいのか」という一貫したテーマがあります。

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これまで繰り返し説明されているように、世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にあります。ものごとには、必ずそれが起こった原因があります。原因に何かしらの関係が縁となって加わり、結果が生じ、報いがあるのです。一切の現象はこういった因縁の相互関係の上に成立しているので、絶対的なものや不変なものはあり得ません。このように、仏教の根本には、あらゆるものは関わり合って存在しているのだという、「縁起」という教えがあります。
もちろん自分自身も同じように「無我」であり「無常」です。そして、何一つ思い通りになるものはなく、望んだとしても完全に手に入れられるものなどありません。それにも関わらず、人間はありとあらゆるものごとへ不変を望み、そこへ執着してしまいます。
仏教では、このジレンマによって苦しみや悩みが生じると説いています。煩悩は因と縁があるから生まれるものであり、それらの原因を取り払えば、煩悩もなくなります。こう考えると、苦しみに満ちたこの世界は、全て人の心が生み出しているものといえますね。
安らかに生きるためにまず知るべきことは、「世の中には思い通りにならないことがたくさんある。自分にとって都合のいいことばかりは起こらない」という現実です。そこを出発点にして、自分や世の中を見つめて、苦しみや悩みを取り去る方法を探しましょう。
いろいろな縁(つながり)によって生かされている私
そこで大切なのは、ものごとにこだわらないこと、偏った見方をしないこと。さらに、この世の全てはお互いに関係しあい、つながっているのだということを理解すること。
世の中のあらゆるものが無常であると知っているから、一期一会の出会いを大切にし、自分をめぐる仕事や人間関係の一つひとつのことも丁寧に謙虚に愛情を込めて行うことができます。全てが縁起によって成り立つものだと知っているから、自分以外のものへ慈悲の心をもって接し、一瞬一瞬を尊く生きることができます。生かされている"いのち"で毎日を大切に生き、自分本位でなく周りへの思いやりを持って行動することは、苦しみの原因である執着をコントロールすることにもなります。
これが"今"をイキイキと生きるお釈迦さまの智慧です。お釈迦さまは、全ての人々を慈しみ、苦しみから逃れて幸せになれるようにと願い、このような教えを今に残されたのです。

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