戸田川の浚渫(しゅんせつ)

B田添いの戸田川の浚渫工事が始まりました。
川底の土を回収し有効利用。
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昔の戸田川の堤防には 各家の「ドロ揚げ場」がありました。
 
川底のドロ土を田畑に引揚げる場所です。
川へ流出して溜まった土は栄養豊富な土です。
各家ごとに ドロ揚げ場がありました。
化学肥料の無い昔は この土に草を挟んで堆肥にしてました。
 
その名残りの境界が、川の中に今でも木杭が残っています。
伊勢湾台風後の護岸工事で堤防を厚く高くし、コンクリートで囲いました。
もうドロ揚げ出来ない状態に。(効率化・化学肥料の発展も伴いますが)
 
昔の知恵、経験が生かされてない現代工法に、今、もの申す。
自然とは・・
 
ここらは、昔~木曽三川の州。
古代は何キロも上流までが海でした。
鎌倉幕府干拓して出来た、これが富田荘園の今です。
 
当時、戸田川は五条川を経て清洲城までの水上運輸手段。
五条川はその上の小牧まで続いています)
 
戦後、名古屋市内を水害から守るために新川が掘られ上流でせき止められました。
昭和工事にもの申す・・。
昔は良かった。
もっと記したい・・。追々追加・編集します。 
 
 B田・・稲扱き後の藁を10握(ぱ)ずつ ちょんぼにしました。後日20握に縛り移動保管も
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田んぼに、ばら撒き敷いてある藁は 奥の田んぼの藁を頂いたものです。
その下にすみれ色モチ麦が芽吹いています。今、長いのは10センチ位。
稲刈り前に、種をばら撒き、発芽し5~6センチの麦を、麦踏みしながら稲刈りし、ハサ掛け、脱穀しました。
麦踏みは、葉が踏まれ、次の葉を出そうと、分ケツ(株分け)が進みます。
 
 
戸田川の浚渫作業を見ながら
ハサ掛けした後の 竹の改修。
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今日は暖かくて、汗”。 ももひき(ステテコ)脱ぎました。